先日、友人から「風水で“死”はどう捉えられているのでしょうか?」という結構難しい質問をいただきました。
それに対して孟意堂は「何らかの力のある人(つまり、生きている間に良い行いをしてきた人)は、あの世に行ってもそのファミリーの力になると思います。それは、毛沢東のような偉人でなくても市井の人にも言えることだと私は思います。」と答えました。
風水では、“陰宅(いんたく)”と言って、あの世に行った人々の魂が住む陰宅の方が我々という、生きている人々が住む“陽宅(ようたく)”よりも力を発揮します。“陽宅”に問題がなかったり、そこに住む人々に問題がなくても“陰宅”に問題があるがゆえに子宝に恵まれなかったり金運にそっぽを向かれる場合があります。逆に、“陰宅”が素晴らしいおかげで、その子孫が本来持つ力以上のものを発揮できる場合もあります。
このことは、大事な祖先や家族の身体は滅んでしまっても魂が残り、その魂が自然界の何らかのエネルギーを得てさらにパワーアップする、という考え方からきています。
孟意堂が檀家になっているお寺「大法寺」をはじめ、日本では各地で定期的に“終活セミナー”を行っているようです。“終活”は人生の終わりに向けてのカウントダウンではなく、ここから先も楽しく生きるための活動として受け入れられているようです。
さて、風水は仏教とは違うものです。しかし、長い歴史のおかげで仏教の教えが色濃く影響しているところもあります。
例えば、四柱推命の場合。
四柱推命は、生まれた年、月、日、時間という4つの柱と後天的に10年ごとに運が変わっていく「大運」とを鑑定するものです。このいずれにも十二運(長生、沐浴、冠帯、臨官、帝旺、衰、病、死、墓、絶、胎、養)があります。
人がオギャアと生まれ、その後産湯に使い、成長して成人を迎え、実力を持ち、その後体力が落ちて病に倒れ、死に、墓に入ってエネルギーが停止し、土の中で養われてやがて生まれ変わるという、仏教の輪廻の考え方です。
誰もが長生から人生が始まる訳ではなく、この十二運の前半から始まる方も後半から始まる方もいます。「大運」が順番に流れる方も逆に流れる方もいます。これらはエネルギーの強弱がありますが、エネルギーが強い方もいれば比較的弱い方もいます。
一般的には長生は良いエネルギーとか、冠帯、臨官、帝旺は強いエネルギーと言われています。しかしながら必ずしも強いから絶対良いとか、良いエネルギーが存在するから良い、というわけではありません。この辺りの事は機会を見つけて触れていく予定ですが、以下のようなコラムも書いていますのでご参照下さい。
参照: http://www.pocketpageweekly.com/life/39939/
一般的には病、死、墓、絶、胎辺りは弱いエネルギーといわれています。しかし、弱いエネルギーだから不要なのではなく、それぞれ必要なエネルギーなのです。
例えば、“墓”の場合。
墓は地面に埋められ、隠れていること、表には容易に現れないことを意味します。この性質上、例えば皆さんの金運が“墓”のエネルギーだとすると、「溜め込んでも生きたお金の使い方を知らない」と読み取れます。
しかしながら、この“墓”のエネルギーがなければ本当の意味でのリッチ・ピープルになることはできません。なぜならば、この“墓”は単独ですと上記の通りのエネルギーですが、他のエネルギーが持っていない底力があるからです。
三合法で活躍するエネルギーは長生・帝旺・墓の3つのエネルギーです。
帝旺を水戸黄門様に例えるならば、長生と墓は助さん格さんの役割だと思います。黄門様の知恵とその存在があるおかげで様々な困難を乗り越え、人を助けることができるものの、助さん格さんのサポートがなかったらそれを実現することはできません。長生のチカラと墓のチカラがあってはじめて成り立つのが三合法の考え方です。
自分が持っているカードを見出し、それを後ろ向きに見るのではなく、前向きに活用する。
これが前向きな孟意堂の考え方です。
(続く)
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